2021.12.30 領将王争(テ勢麻雀)記録

 2021年最後の領将王争が開催された。年の瀬の『王』を誰が務めるのか、重要かもしれない節目の領将王争は、開始が12時からといつもより遅めの開催。テ勢雀士の面々は11時頃に集合し腹ごしらえをすることにしていた。

 待ち合わせ場所の新橋駅に最初に来ていたのはつっしー。少しでも通算のマイナスを返したいと気合が入っているのかもしれない。次に着いたのは自分で、つっしーに声をかけようとしたが携帯に夢中のようだったので、背後にまわってどれくらい気づかれないか試してみた。5分くらいでバレた。続いて登場したのはしっぽらさん。しっぽらさんに「どこでお昼食べようか?」と聞いてみると「言い出しっぺのあらさんが考えてるんじゃないか?まぁ考えてなかったら近くの大戸屋とかでいいでしょ」とのこと。そんな話をしてる間にあらさんが現れて「お昼の場所とか目処ある?」「ないです!」。一同は大戸屋に向かった。

 大戸屋に着いて店内に入ってみるがなんか暗い。電灯がついていないようで、本当にやっているのかと心配になって時間を確認してみると、開店時間が11時に対して現在時刻は10時58分。テ勢雀士たちは気合が入りすぎて5分前どころか10分前行動ができており、11時集合というと10時50分には集合場所から移動を開始しており、目的地についても11時を超えていない。今回はこれが逆にお店に迷惑をかけることになった。4人いて、お店に入るまで誰も時間を確認していないあたりはテ勢雀士らしい。

 自分は裏ドラ爆乗りの願掛けのつもりで「ばくだん丼」を注文。納豆、オクラ、山芋など、粘っこいものが多くのっていたので、爆乗りというよりは粘り強く飛ばないことのほうが意味合いが近そう。粘らないといけない状態にはなりたくないなと思いながら食べていた。12時まで時間があったので、今日の領将王争はどうなるかといった話をすると、しっぽらさんは「今日は寝たからだめだ」とある意味いつもどおりのご様子。つっしーは前日のお仕事がお昼にあったことで充分に休めたらしい。あらさんは変わらず万全(だと思う)。自分は前日に飲み会をしていたこともあり少し寝足りないかもしれない。

しっぽらさん「栃木に塩麹ないからな」
つっしー「栃木をなんだと思ってるんですか⁉︎」

ガラス越しに見えた新幹線が駅でもないのに止まっていたのをみて
自分「早すぎて止まって見えるのかもしれない」
しっぽらさん「んなわけあるか!」

しっぽらさん「あらさん『穿つ』って言葉好きだよね。あらさんから聞く気がする」
あらさん「好きかもしれんw」
自分「言う機会ないやろ普通w」

しっぽらさん「前はpaypayなんて使うかいと思ってたけど今はpaypay様様です」
一同「手の平にくるっくるやな」

 今思い返すと、雀荘の予約時間までの1時間で、けっこういろんな話をした気がする。ほとんどとりとめもない話ではあるが、1番乗りした自分たち以外にお客さんがけっこう入ってきていることに気づかないぐらいには盛り上がってたと思う。

 12時頃に雀荘に入って、まずは体温チェック。自分の体温は34度を下回ったが店員さんは「外は寒かったからしかたないですね」と気にしてなかった。いやいや他の人はそれでも35度超えてましたが?

 予約した雀卓につき、いざ今年最後の領将王争開始!

f:id:TalesOfOdajun:20211230114113j:plain

 今日の自分は全体的に東場に落ち込んで、追い込まれたティオハリム状態から南場で盛り返すということが多かった。点棒が残り1万を切り4位の状態で迎えたオーラス、自分がラス親という状態で、2巡目リーチからの一発ツモ七対子ドラ2の6000オールなどで盛り返すというのもあり、自分であがっていながら自分じゃない何かの力が働いてるのかと思いたくなるような感覚もあった。これが「俺の中の何かのなにか」なのかもしれない。他にも自分がオーラスで4位という場面はあり、ツモ和了りでなんとか粘って西場までもつれ込み、自分が親のときに2000点ぐらいの点数で何度か和了り続けてた。周りから「もう次の局いこうよ」という声を聞きながら「まだ遊ぼうよ!」とか無邪気に言いながら連チャンしてたのは楽しかった。まぁ終わっても次の局をやる時間は十分にあったので、どうせ粘るなら大きく勝って逆転して終わらせればいいのだが、自分もなかなか大きな手であがれず必至でもがいた結果なのである。この日の粘りは、お昼に食べた「ばくだん丼」の効果が働いたのではないかという噂もあるが定かではない。

 あらさんが端ポンをしたときに、端ポンをしようとして待機していたが自分で引いてしまい、人知れず配を整理(理牌)していたこともあるんやろなと気づいてしまった。舞台裏の努力というものが伺える。

 終盤の局ではハラハラさせられる場面が多かったように思う。つっしー以外の3人がリーチをする中で、つっしーは大三元役満をテンパっていたり、その直後の局でまたつっしー以外の3人がリーチをする状況が生まれたり、しっぽらさんがリーチ、槓をした状態で自分がさらに槓を2回してドラ表示配が4枚になったりもした。このときはあらさんが漁夫の利を持っていき、しっぽらさんが12000ぐらい払う結果になってた。自分が槓をしたときは拍手して喜んでくれたが、あらさんに振り込んだあとは「おだじゅーん!!」っていいながら鬼の形相になっていた。槓は結果によって人を狂わせてしまう魔性の術なので、強い信仰の念をもって日々精神鍛錬に勤しもう。

 この日は 4,5半荘ぐらいしただろうか。1位も4位もとるといった順位の乱高下はあったものの、自分のこの日の成績はトータルでプラスに終えることができた。しかしこの日の成績のトップはつっしーとなり、『王』の称号はつっしーに引き継がれた。これによってなにかできることがあるかと言われるとないのだが、気持ちだけでも背中に紋章を掲げてもらえればと思う。

 槓自体は何度かする機会はあったものの、嶺上開花まで至ることができなかったのは非常に残念だった。今年1度もできていないので最後のチャンスにかけたのだがしかたない。来年にまた頑張るということで咲でも読んでおこう。麻雀で何があったかというのは大まかに覚えていたりするものの、何を話したのかとなるとかなり記憶がおぼろげになっている。麻雀中のテ勢雀士の脳はとろけているからかもしれない。

 麻雀を終えた一同は忘年会として有楽町のお寿司食べ放題のお店に乗り込んだ。しっぽらさんが予約してくれたのはたぶん雛鮨というところだったと思う。120分待ちの列を横目に予約した自分たちは悠々とお店の中に案内された。予約大事。オーダーのしかたは、握りのメニューが書かれた紙に、最大20巻まで食べたい物に数を記入して渡すといったやり方。注文してから時間がある程度かかるようだったので、注文した握りが来るたびに事前に書いておいた紙を渡すといった形で何度か注文した。麻雀と会話でかなりエネルギーを持っていかれてたからか、運ばれてきた20巻はまたたく間になくなり、注文が来るまでにひたすら話してた。注文したものがすぐにはこないということが逆に話をする間が十分にあり良かったかもしれない。

f:id:TalesOfOdajun:20211230114150j:plain

 今年もお疲れ!の乾杯から始まり、この日と今年の麻雀について振り返ったりしていた。自分の打ち方、待ち方がおかしいと散々言われながらも、結果として年間のトータルが+500を超えているという結果を残すことができた。これが他のテ勢雀士の間ではどうも腑に落ちないというか、真似をしていいのかわからないというか、「何でそれで勝てるんだ?」というのがうまく言語化できない様子。見逃しなどで妙な打ち方をすることもあるが、自分ではある程度考えて打っているつもりではいる。会社の同期からは「しぶい打ち方だね」といったコメントを貰っていたりするがこれの本意も充分に理解できておらずちゃんと説明できなかったりする。嶺上開花したいとしきりに言ってはいるが、賑やかしのためだけの槓は当初に比べてマシになっていると思うんですよ。話の中でしっぽらさんが言っていたと思うのだが、おそらく自分は牌効率を優先した打ち方によっているような気もする。間チャン辺チャンを比較的残す傾向があるのは、両面待ちのために2枚の必要な配を新しく手元に持ってくるよりも、間チャン辺チャンの残り1枚を待つのが良いのではないかと考えているのだろう。まぁ状況によるので実際に打っているところを見てもらうのがいいのだが、それもなかなか難しい。できるかどうかまだわからないが、GoProとかで自分の手牌だけでも撮影すればいいだろうか。

 打ち方の話の中で、あらさんに解説してもらったらどうかという話から、「国士無双 一向聴 九種九牌流し事件」についても思い返して笑っていた。ネット麻雀していたとき、あらさんがたまたま解説しようとした対象の局中に本件が含まれており発覚した。見返すことは大事。あらさんのリアクションをしっぽらさんが完コピできるという謎の読み込み度合いを披露したり、残したことでこうして何度も思い返して笑えることは本当によかったと思う。まぁ天鳳のUIに「流す」ってボタンが出たら、配を見ずに、押すよね。

 テ勢麻雀Wikiをみんなで見返しながら、迷言や戦法・戦略に書かれた内容を見返したりしていた。これをみているテ勢麻雀たちは当時の情景を思い返して皆ニッコニコである。「声に出して言いたいテイルズ用語」や「完コピしたいシーンリスト」は、これからもまだまだ追記されていくことが期待できる。皆でシリーズを見返していい用語、いいシーンを洗い出し、テ勢麻雀でどんどん擦っていこう。ただ気をつけなければならないのは、純粋なテイルズファンの逆鱗に触れてサイトを攻撃されるなどのトラブルだ。何らかの方法で一度紙媒体の冊子に落とし込み、全て消えてなくなるといった事態にはいずれ備えておいたほうがいいだろう。冊子が年ごとに増えてくるとそれはそれで楽しそうである。

 つっしーの不思議シリーズ(?)も思い返さずにはいられない。お箸の持ち方から始まりしっぽらさんの悲鳴を引き出し、靴紐の回では皆からイリュージョンでも見せられているかのようなリアクションをされ、書き順の回では「必」という漢字でテ勢雀士たちをそれぞれのTAOに導いた。ひとつひとつがもはや伝説と言ってもいいほどのインパクトを残しており、実はまだなにかあるのではないかと皆の期待が高まっている。つっしーの一挙一投足はこれからも観察されることだろう。

 Wiki を見返して思うこととして、それぞれの記事の熱量の高さがある。ブログの殆どは自分が管理しているものの、Wikiのひとつひとつの記事は4人のテ勢雀士たちが徐々に積み上げてきたもので、一度書ききって終わりというわけではなく、より良い内容にこだわり何度か更新をされているものもある。中でも「オペレーション・サクッとね」はしっぽらさんがシュタインズゲートの元ネタのセリフから熟考を重ね生み出されたもので、これを読んで笑いを堪えられるテ勢雀士はいないだろう。文字だけでなく画像の追加や動画の追加、はたまた出典の記録など、各自が思い思いに元の骨格から肉付けを繰り返した記事は質が高いものばかり。この記事たちは、将来落ち込んだテ勢雀士たちを励ます一助となるに違いない。

 小樽に行った話もしたが、見て回った場所や自分がオモシロイと思ったことがどうも研究者っぽい印象となってしまい、皆から共感を得るということはできなかった。自分でも小樽の旅は他の人を連れてできたものではなかったなという自覚はあるので、特殊な楽しみ方をしてたのだろうとは思うが、小樽は本当に楽しい場所だということだけでも知ってほしかった。伝え方というのは難しい。ついでにゴールデンカムイも面白いよ。

 お寿司を食べながら他にも多くのことを話した気がするが、断片的な記憶をつなげて思い返すことができるのはこれぐらいになる。というかこのあとに少し自分にとって想定外のことがあって印象が少し上書きされた。

 お店を出て「良いお年を!」といって有楽町駅に向かうみんなと別れ、自分は日比谷駅まで少し歩くという帰り道になったのだが、スマホの地図アプリのコンパスが狂っており、地図を見ながらしばらく正反対の方向に進んでいた。途中でなにかおかしいと思い引き返し、改めて地図を確認すると、皆と同じ方向に途中まで行くのが正しいルートだったことがわかった。正しいルートに進みながら「これでみんなに追いついたりしたら何言われるやろ」などとひとりでおもしろいやら不安やらが混じった感情をいだきながら進んだが追いつくことはできずそのまま日比谷駅に着いてしまった。10分以上は時間が経過してたからまぁ追いつけないよね、と思いながら少し残念とも思っていたり。

 1時間ほどかけて家につき、ポストを見てみると大きな封筒が入っており、それには「健康診断結果」と書かれていた。来るのが早いなと思うと同時に、気分がいいときに来てくれるなよ、という思いも湧き上がった。家に入っていろいろ済ませたあと、内容を確認して、特に健康状態について問題ないことがわかりひと安心したが、テ勢麻雀で浮ついた気持ちのままこの記事を書いていたかったというのが正直な気持ちだったりする。健康診断で現実に引き戻された感覚。

 覚えているその日のうちに書き出すのが良いだろうと書き始め、ここまで書いたところで時間をみると深夜3時をまわっていた。これでもだいぶ記憶から抜け落ちているものはあるだろう。勢いというのは眠気を簡単に追いやってしまうのだからすごいものだ。それだけテ勢麻雀というのが自分にとっても熱量をもって取り組んでいるのだと改めて実感する。今年に入りほぼ月1の頻度でやっているが、すべて楽しい気持ちのまま終えられている。来月の予定もすでに立てた。来年も嶺上開花をまず和了れるように頑張ろう。そして今年の好調を維持して年間1位を目指し、結果として通算成績1位までいけると望ましい。

さすがに寝るか。



 

「硫黄島からの手紙」をみたよ

 内容について深く触れるつもりはないですが、ネタバレしたくないという方はご注意ください。

f:id:TalesOfOdajun:20211225202344p:plain

 

amzn.to

 

 先週みた「父親たちの星条旗」の硫黄島での戦いを、日本側から描いた作品。父親たちの星条旗では、英雄と祭り上げられた兵士たちの本国での巡回演説が描かれ、硫黄島での戦闘における場面は全体の半分もないくらいだったのに対して、硫黄島からの手紙では、ほとんどのシーンが硫黄島でのやり取りとなっていた。1ヶ月以上戦闘状態となった経緯というか、摺鉢山に星条旗を立てられてからなぜ戦闘が長期化したのかがよくわかる。摺鉢山で星条旗が立てられたのは、あくまで硫黄島における一つの拠点を落としたにすぎず、まだ島の半分ほどは侵攻できておらず、日本兵は地下にほった坑道を駆使してゲリラ的に戦闘を行っていたため、アメリカが完全に硫黄島を掌握するまでに時間を要していた。

 この映画を見たあとにスタッフロールで、これをクリント・イーストウッド監督が撮っている、つまりは日本人ではない人が監督をやっているということを改めて認識したとき、邦画のようにみれたことに驚いてた。主演が全て日本人というのもあるだろうが、全体的に違和感のある描写も特になく「海外の考える日本人」というのはそこに一切なかったように思う。ただ、本作品をみたあと他の人の評価などをみてみると、軍事に詳しい人からすると、細かい設定において「ありえないこと」がいくらか散見されたらしい。気づけないことを幸いとみるべきか、不勉強とみるべきかは個人の判断に委ねられるところであるが、自分は特に気にしていない。

 二宮和也演じる一般兵視点と、渡辺謙演じる硫黄島での最高指揮官の視点、それぞれの視点から現状をみているような描かれ方をしていて、それぞれの立場における苦悩や心情といったものが交互に描かれ、たまに同じシーンで2人がやりとりをし、そしてまたそれぞれの視点にもどる。すでにマリアナ沖海戦による大敗と、本国からの戦力補強が望めないことを知っている指揮官は、1日でも長く交戦できるようにと自身の信念を貫き仲間を率いようとするが、勝てないなら勝てないで華々しく散る道を取るべきだと謳う一部の幹部陣からは「腰抜け」と揶揄されてしまう。上層部のねじれた指揮系統は一般兵に混乱をもたらし、摺鉢山が落とされた後、自決しようとする者と他部隊への合流しようとする者が出たりもする。すべての兵に拳銃が持たされているわけでもないので、自決手段が手投げ弾となり綺麗には死ねない。その場を生きたとしても、味方との合流は銃弾飛び交う戦場を走り抜けなければならず、捕虜となっても生かされるかどうかは不明。合流できても食料や水がなく、愛国精神の強い上官からは「摺鉢山で最後まで戦い抜き死ぬべきだ」とまで言われる始末。地獄が描かれているようであった。

 日本側から見る、海に並んだアメリカの軍艦というのは、絶望を想起させるに有り余る光景だったであろう。日本側はいくら飛行場が硫黄島にあるにしても、先の戦闘により本国の戦力は不足し航空兵力もなく、制空権、制海権をほぼ失った状態から戦いが始まる。兵力差は人数だけでみても10倍以上。劇中で「敵兵を10人倒すまでは死ぬことを許さん」と発破をかけているシーンもあったが、本当にそれぐらいしなければどうしようもない状況だったのだ。この作品において最高指揮官の描かれ方が、英雄とまではいかないが、合理的な考えのできる人物として描かれている。勝てないことをほぼ承知で1日でも長く持ちこたえるために策をこうじているが、映画序盤に一般兵が漏らした「アメ公にくれてやればいい」というのがある意味真理のような、本当の合理的な判断だったのかもしれない。もはやたらればの世界になるのだが、勝てない戦と知った上でこのセリフが一般兵から最高指揮官に伝わったらどうなるだろうか、などと考えたりもする。まぁ即刻ぶん殴られるのが一番ありそうではある。

 観終わってからいろいろとこの作品を見た人の評価などを読んだりすると、軍事に詳しい人からあまり良い評価は受けていない様子。ただ私個人としては、歴史の読み物の1つとして、2作品合わせて見ごたえのある作品だったと思う。これらをみて戦争について特に考えることはないが、1枚の写真が兵士たちの運命を狂わせるとか、10倍以上の戦力差でも1ヶ月持ちこたえる戦い方があるとか、部分的に興味を抱くものはあるのではないかと思う。また、硫黄島自体への興味関心を抱くきっかけになるかもしれない。

 現在硫黄島は観光目的で上陸することはできず、外観をクルーズ船で見ることしかできないらしい。当時の戦車などがモニュメントとして残されていたりするとのことなので、何か機会があれば上陸してみたいと思う。

 

小樽冒険記Part4を投稿したよ

nico.ms

 

 小樽に行ってから1ヶ月以上たち、ようやく動画の方も完結しました。小樽旅行を計画してから、たくさん写真を撮ってブログに残して動画も作ろうと考えていたことがようやくできて、満足感に浸っております。そういえばクリスマスイブですね。この動画がプレゼントということでここはひとつ。

 3日目は小樽に滞在できた時間が短いこともあり、動画の内容としてはわりとあっさりしたものになったかなという印象です。特に、総合博物館運河館の写真がなさすぎる。おそらく、赤岩オタモイ線歩道について説明を聞くことに時間を費やしてしまい、ゆっくりと写真をとる時間が確保できなかったことが原因かなと。縄文時代の資料があると話していながら、動画でその写真が映されていないというのがなんともちぐはぐな感じになってしまっています。

 小樽ビール小樽倉庫No.1 の部分では、もっと賑わっている雰囲気の写真を取りたかったですが、臨時休業の影響で3日目の開店直後にしか訪問できず、夕食をここで食べるということが叶わなかったんですよね。アップルソーダひとつしか口にできていないことが悔やまれる。

 ステンドグラス美術館は、建物の外観だけみるとさほど大きな施設に見えなかったので、30分ほどあればみて回れるかなと思って入ったんですが、中はめちゃくちゃ広く、展示がでかく、そして飾られているステンドグラスの数も多い。それぞれの展示に親切に解説があるもんですから、読みながら進んでるとあっという間に時間がなくなるわけです。せめて後で見返せるようにと写真を撮っていたことで、ステンドグラスの写真が3日目の写真の多くの割合を占める結果となりました。ステンドグラス美術館の説明のところでページめくりの編集が多いのは写真が多いためになります。

 飛行機の出発時刻が遅れたことで、新千歳空港に長居することになり、色々と見て回ろうかと思ったんですが、荷物を持って歩き回る元気がもうなかったので、お寿司屋さんやカフェでゆっくりする時間が増え、結果として食べ物ばかりの写真になってました。一気に購入したゴールデンカムイをよみながら休んでたんですが、小樽を観光したあとのゴールデンカムイがめっちゃおもしろいのなんの。「これ実際に見聞きしたなぁ」ってのがたくさん載ってて、世界観の理解がしやすく没入しやすいんですよね。新しく楽しめる漫画が増えたのも予想外な出来事の1つです。

 小樽のスタンプラリーをきっかけに、小樽観光だけにとどまらず、ブログや動画の投稿といった複数の楽しみを1ヶ月ぐらい堪能できたことがとても嬉しかったです。また、ホテルで頂いた小春六花のイラストが描かれたマグカップを使用して、コーヒーを淹れる動画を撮りたいなといった妄想もしていたりします。今回の旅行は、さまざまな楽しみのきっかけを作る、自分にとってとても意義のある旅でした。おそらく今後いろいろと出かけると思いますが、このおたるの記憶は特別な思いを抱いて思い返すことになるでしょう。計画時のワクワクと不安から、現地で期待以上の楽しみを味わい、返ったあとも様々な形に昇華させて更に楽しむ。このサイクルの最初がこの小樽の旅です。最初だからこそ、こうしておけばよかった、ああしておけばよかったと悔やむこともありましたが、これは逆に再度小樽に足を運ぶ良いきっかけとなりそうです。これもまた旅の面白いところ。

 さてさて、これにて小樽冒険記は本当に終幕になります。次の六花ちゃんの旅動画は、スノーボードに行く内容を検討していますが、雪山での撮影器具を試すのが初なので、写真や動画がちゃんと撮れるかどうかが動画化の鍵を握ります。できれば1月末までには動画として投稿したいと思っていたりしますが、はたまたどうなることやら。

 小樽スタンプラリーの関係者の皆様、ブログや動画をみてくださった皆様、みなさんのおかげでとても楽しい時間を得られました。改めてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

くもり止めクロスが便利

 マスクをして外出するときのいつもの悩みとして、眼鏡が曇るというのを抱えていた。特にテニスをするときも、マスクをしながらプレーするのが普通になってきてしまったので、メガネが曇ってボールが見にくくなることがよくある。マスクの縁を内側におることで軽減できると聞いたので試してみたが気休め程度の効果しかなく、正直お手上げ状態だった。

 そんなときに知ったのが曇り止めのメガネクロス(メガネ拭きクロス)、「 FOG STOP CAN

amzn.to

 

 これで拭いたあとのレンズに息とか吹きかけても、すぐに曇りが晴れて透過性を維持できる。最近のテニスで事前にこれを使用した状態のメガネをかけて1時間半ほど運動したけど特に曇ることはなかった。1日中外出するようなことが最近ないため、効果時間のほどはまだはっきりしないが、直径5センチ程度の入れ物なので持ち運んでメガネが曇ると思ったら再度拭けばいいと思う。メガネが曇って困っている人がいるならこれを試してみてほしい。

 コンタクトにすればいいじゃんと言われると返す言葉もないが、以前自分はコンタクトをためした時期があったが続かなかった。というのも、乱視がひどいために、つけるコンタクトに上下が指定され、コンタクトの上下を示す印が下側にある状態で付けてくださいと言われた。ここでちょっと考えてほしい、指の腹ほどの大きさのコンタクトに印がついているわけだが、コンタクトを付けるとき当然メガネを外しているのだから、視界はぼやけている。コンタクトに描かれた細かい印の判別がそれはもう困難なのだ。コンタクトを付けたあと、もしかしたら鏡で印の場所を確認できたのかもしれないが、自分には確認できなかったので、正しくつけられているかもわからない。正しく使うために大変な思いをするぐらいなら、眼鏡でいいなとなってしまった。今のコンタクトはそういった苦労をしなくてもよいのかもしれないが、自分はできるだけメガネでいいやと考えている。スノボーで使用するゴーグルも、眼鏡をしたまま使用できるものを購入し、スキューバダイビングで使用するゴーグルは度が入ったものを選んで購入した。

 話がそれたので戻すと、自分と同様に、できるだけメガネを使いたいという人で、最近のマスク着用によるレンズの曇りに悩まされているのであれば、曇り止めのメガネクロスは検討してみてほしいと思う。

「父親たちの星条旗」をみたよ

 あまり内容について深く書くつもりはないですが、ネタバレしたくないという方はご注意ください。

amzn.to

 

 第2次世界対戦中に硫黄島にて撮られた1枚の写真に映った兵士たちが、英雄と讃えられながら国中に「戦争で勝利するために国債を買ってほしい」と訴えかけつつ、回想で硫黄島での激戦がどれほど過酷なものだったかを描写するという内容の映画。モデルとなっている写真は実際に存在するもので、劇中でも描かれている「星条旗を掲げた6人はだれなのか」というのが、2019年に更新されるなど調査が長期に渡り続いていたりもする。

 自分がこの映画に興味を持っていたのは、ひとつの出来事をアメリカ側の視点、日本からの視点、それぞれで別の映画作品として完成させているということが気になったからだ。戦時中の出来事について、戦闘機などもともと興味を持っていたということもあるが、映画といえば単品で完結するものというイメージを持っていた中で、はっきりと2方向の視点からそれぞれの作品として出すよと宣伝されていたのが当時の自分にとってはとても印象に残っていた。印象に残ってはいたものの、映画をみることをずっとしていなかったので、当時の映画への興味は思っていたよりもなかったのかもしれないが。

 個人的に洋画をみるときによくあることなのだが、登場人物の顔と名前が一致しないというのが今回もいくらかあった。というのも、最初の語り手は硫黄島星条旗を掲げたとされる兵士の息子で、劇中何度も戦時中の父親の視点から英雄として国中をまわるシーンが描かれ、更に硫黄島で戦闘中の出来事を思い出すといった描写が繰り返される。特に硫黄島での戦闘中は、ヘルメットや装備などもあり見た目で誰なのかを判別するのが非常に困難だった。「エベレスト」でも似たような感覚を味わったが、こういったところは洋画をいくつかみて慣れていくしかなさそうだ。

 硫黄島での戦闘のシーンは迫力があった。記録にもあるように、日本兵約2万人が硫黄島で防衛しているのに対して、アメリカはその10倍以上の25万人という勢力で落としに来ている。数によって制するというのを、引きの場面で映された艦隊の数、上陸する船、車の数というのが表されており壮観だった。加えて空からは逆ガルウィングが特徴の戦闘機F4U「コルセア」が襲撃し、日本側が勝てる見込みは一縷もないと思える。しかし実際は日本側が1ヶ月以上粘ったというのだから驚きだ。長期に渡る戦闘についてあまり描かれてはいなかったが、メインとなる登場人物が上陸兵なので、戦闘初期の歩兵戦の激しさが多く描かれている。星条旗を掲げたのは戦闘が完全に終結したあとというわけではなく、むしろ星条旗を掲げてからのほうが戦闘期間としては長い(約30日)。

 そして星条旗を掲げた6人のうち3人が英雄として祭り上げられ、政治家からは戦争のためのお金を集めるための広告塔として様々な場所を訪問しスピーチする。まわりからは英雄と言われるが、戦って亡くなった戦友に対しては申し訳なさにも似た自己嫌悪のような感情が募る。現地で戦争を経験した人とそうでない人との感情の差というのは、一度始めた戦争によって戻れないなにかを象徴しているようだった。

 史実を元にした映画は、観終わったあとに気になったことについて調べると情報が出てくるというのが、知的好奇心をさらに満たすことができ楽しい。今回も「こんなことが実際にあったのか」という感想でだいたい満たされるのだが、硫黄島攻略になんでそんなに苦労したのだろうかとか、実際の写真の画像はどんなものかといった興味が時間をおいてから湧き出てくる。そして調べれば調べるほどさらに知りたいことが増えていくという循環が生まれる。メインで登場していた語り手の父親「ドク」が星条旗を掲げ生き残った1人として描かれているものの、2016年の調査報告により実は写真に写っていなかったのだと知ったときは驚いた。あれこれ調べるにつれ最終的に「硫黄島に行ってみたい」といった思いを抱くようになるのだ。小笠原諸島にはもともとダイビングに行きたいとも思っていたので、可能なら合わせて硫黄島にも行ければなとまずは卓上旅行に花を咲かせたりする。

 監督、俳優、表現方法など、映画を論じる上で取り上げられるであろう内容は、自分の映画に対しまだまだ勉強不足なので、他のサイトを参照されるのがいいだろう。史実を映像で紐解くひとつの資料としてなら、この作品はとてもいいものだと自分は感じている。今度は日本側からの視点で描かれた「硫黄島からの手紙」を、時間を見つけて見ようと思う。

小樽冒険記Part3「小樽歴史観光」を投稿した

nico.ms

 

 小樽冒険記Part3は、高島岬で日和灯台と鰊御殿をみて、小樽総合博物館をみて、旧手宮線を歩いて、夕飯の後にBarVという流れを動画化したものになります。社会見学っぽい感じの内容になったので、歴史とかに興味がないともしかしたら退屈な内容だったかもしれない。

 まぁそんなことよりだ、投稿したこの日にゴールデンカムイの最新刊が出てまして、その中で今回紹介した、蒸気機関車の「しづか号」と客室が、自分が写真を撮ったそのままの姿で登場したのがかなりびっくりした。スタンプラリーの設置場所ではなかったけれど、時間のない中見に行っといて本当によかった。「あのとき見たやつや!」っていう感動って、今後も長く記憶として残るやろうし、偶然の出来事となるとより小樽とかゴールデンカムイにたいして妙な縁を勝手に感じてしまう。

f:id:TalesOfOdajun:20211217204824j:plain

f:id:TalesOfOdajun:20211217204834p:plain

f:id:TalesOfOdajun:20211217204849j:plain

f:id:TalesOfOdajun:20211217204858p:plain

 

 おたる水族館で写真を取りすぎてしまったことで、スマフォの電池残量が半分を切っており、Part3の範囲で撮った写真の数が、おたる水族館のときと比べてだいぶ減ってた。特に鰊御殿のあたりと、手宮高架桟橋あたりはもっと写真を撮っておくべきやった。細かい解説の資料ばかりを後で読めるように写真に残していたために、残っていた画像の多くは文字中心のもの。動画で使用するにはちょっと向かないものばかりだった。モバイルバッテリーを持っていっていたとは思うが、スマフォを出す頻度を落とせばいいかと思ってしまったのがとても悔やまれる。まぁ、博物館とか資料館とか、どうしても文字の資料が多くなる場所ではあったんやけど、それでももっといい写真が撮れてたと思う。次遠出するときは、これでもかというほど写真を残しておかねば。

 おたる水族館で生き物をみて、日和灯台や鰊御殿で建物に関する歴史を知って、鰊という魚と小樽の関係を知って、小樽総合博物館で鉄道による小樽の発展を知る。1日ではとても持ち帰れないような膨大な情報量があるから、今後も機会があれば何度か足を運びたい。今度はもう少し時間に余裕を持ってひとつひとつをまわりたいな。

 たぶん、次で小樽冒険記は最後になると思う。3日目に小樽を出たのが1時頃だったと思うので、動画化するとしてもそこまで長くなるとは思わんのやけど、どうなることやら。そいういえば、小春六花の大型バージョンアップで、くぐもった感じの声がだいぶ解消させてたんよな。次の動画の小春六花の音声には、これまでと差があって少し変になるかもしれんがまぁしゃぁない。次回も見てくれると嬉しいです。それではまた。

 

 

健康診断を受けたよ

 健康診断の予約が遅れたために、予約できた時間が8時台とかなり早い時間帯となってしまった。また、胃カメラの診察を経鼻からのものを受けたいと思っていたので、そもそも選択肢がある程度限られた状態だったので、健康診断の予約は始まってすぐに実施するべきだった。7時前に家を出て電車に揺られて、実施場所に移動したときには、朝食も食べていないこともありヘロヘロの状態だった。早く終わらして雨がふらないうちに帰りたい。

 クリニックについて検査着に着替えて、最初に血圧の測定。そこで最高血圧約80、最低血圧約60といった極端に低い数値が出た。さすがに看護師さんもおかしいと感じて再度測定してもらうと平常値が記録された。測定の何らかのミスとは思うが、一度そういった数値が出てしまうとなにか体調がまずいのかと不安になってしまう。あまり幸先の良くないスタートだった。

 血管は見えやすい方ということもあってか採血は特に問題なく終わり、腹部の超音波検査。これが検査項目の中で苦手。腹部にジェルを広げながら検査器を当てるわけだが、痛くすぐったいのが数分続くので顔を歪ませてしまう。肋骨あたりをぐりぐりするの本当にやめてくれ。身長は昨年から1cm近く縮んでた。毎年縮んでる気がするんですが大丈夫ですかね?体重は2~3kg増えてたと思う。体脂肪率は10%程度でこれも前回の記録を覚えてないため差がわからないのだが、不健康な変化はないと思う。日々記録したほうがいいとは思うがなかなか実施できていない。胸部レントゲンや心電図をとったあとに視力を測ったが、メガネを掛けた状態で両目とも0.6だった。メガネを買い換えることを考えたほうがいいかもしれない。そして眼圧測定なのだが、下に伸びるまつげがどうも長い、あるいは目が細いことから、何度も空気を目に当てられてつらかった。

 そして自分にとって不安な検査のひとつ、経鼻からの内視鏡検査の準備が始まった。まず鼻にむくみをとるための薬品をスプレーされるのだが、スプレーの勢いが強すぎる。薬品と一緒に空気も鼻から喉にかけて一気に送られるのでむせた。そのあと麻酔のジェルを鼻から入れられ、内視鏡の通るスペースを確保するための細いスティックも同時に差し込まれた。鼻からスティックが長く伸びた状態で暫く過ごさなければならず、かなり間抜けな図になっているだろうなとか考えてた。鼻からのどにかけて麻酔が効いてきて、つばを飲むようなことがしづらいので、全部ティッシュで拭い取る。数分後、看護師さんにつれられて機器のある部屋で横になり、カメラを鼻からゆっくり入れられていく。麻酔しているとはいえ何かが鼻から喉、体の中へとはいっていく感覚がありなんともいえない不快感がこみ上げる。胃の内部をみるために空気もおくられているので、ゲップが出そうになるが耐えろと言われる。実験のモルモットの気分とはこういうものだろうかとか考えてなんとか紛らわそうとしたが難しい。カメラで映っているものを自分もみることができるが、善し悪しがわからないためなんともいえない。とりあえず素人でもわかるような傷とか出来物とかはなさそうってぐらい。1時間ぐらい弄ばれた感覚があったが、たぶん実際は10分から20分ぐらいだったと思う。長い管を花からゆっくり引き抜かれ、つらい検査も終わり、ようやく自由になれた。

 麻酔が切れたあとに飲んだ水が美味いのなんの。朝から何も口にしていなかったので、検査の後のランチが格別うまかった。しかしこの日の健康診断はこれでおわりではない。今回初めて脳ドックを受けることになっているのだ。福利厚生で費用が出ると聞いたので、念のため受けておこうと申込みをしていた。費用は約3万、めっさかかるやん。脳ドックを受けられるところは施設の場所が異なるので、ランチのあとに施設に向かった。脳ドックでは食事制限は特にないとのこと。もし制限があったらどれだけ長い時間空腹で過ごさなければならなかったことか。

 雨の中の移動を強いられ気分が落ち込み気味となり、しかも脳ドックを受ける施設の隣の建物に誤ってはいってしまい恥ずかしい思いをしてしまった。この出来事が脳ドックの結果に影響出たりするんやろうかとか考えつつ、MRIの説明を聞く。とにかく貴金属類は持ち込むなよ、絶対にだ!という注意を何度も受けた。検査用の服に着替えるのかと思ったが、そのままの服で良いとのこと。わりとラフな格好でうけられるのね。機械の上に寝転んで、頭が動かないようにクッションとかいろいろつけて、うるさいからとヘッドホンもつけられた。ヘッドホンからは曲名はわからないがおそらくジブリ関連のアレンジ曲が流れてた。検査が始まり機械の中に横になった台が入っていく。なにもないと思いながらも、こんなところに放り込まれれば多少は不安になったりするもので、何度も事前に確認したのに貴金属とか持ってないかと気になった。MRIに張り付く消化器の画像とか思い出してしまったり、最悪の光景を勝手にイメージしてしまう。それでも少しすると慣れてきて、曲を聞きながら今日はこのあとどうするか、帰ってから仕事はするけどどれだけ時間がとれるか、どんな手順でやるかとか考えてた。真面目やな。あと、古典部シリーズの小説の続きを読み始めてたので、読み進めた内容から今後どうなるのかと考えたりもしていた。MRIの中はたしかにうるさい、しかしヘッドフォンとBGMのおかげで、耐えられないほどではなくなっていた。検査自体は20分ぐらいで、内視鏡の検査に比べればずっと楽なものだった。どんな結果が出てくるのか全く予想がつかないので、妙なものが出てくれるなと祈るばかり。 

 検査結果は早ければ年末、遅くとも1月中には来るだろう。健康体のつもりでいるが、いつまで健康体のままでいられるか。年末年始に暗い顔をしていたら、検査結果が悪かったのだろうと察してもらえればと思います。