ゾーン(フロー)に入った記憶

独自サイトで書いている内容の転載になります。

 ブルーロックの最新刊を読んで、強さがインフレし始めてきたのかみんなゾーン(フロー)に入るのがなんだかデフォになってきてる。プロの選手とかになると、ある程度は意図してゾーンに入りやすい状況を生み出すことはできそうではあるものの、90分の中で望んだタイミングでゾーンに入るとか、テニスの王子様黒子のバスケみたいになってきたなという感じはする。現代サッカーのよく言われる課題点をテーマにした漫画なので、自分にとっては興味深く、話もとても面白い。続きが気になる。

 「ゾーンに入る」という表現を見るたびに、自分が学生のときに体感した「調子がいい状態」をよく思い出す。小中高とすべて異なる球技をやっていて、そのなかでもバスケットボールをやっているときに調子のいい状態になった記憶が多く、これが今思うとゾーンに入るということだったのだろうと感じている。自分のポジションはポイントガードではあったが、チャンスが有ればスリーポイントシュートも狙って良いと言われていた。パスが主体のプレイスタイルではあったので、シューティングガードとまではいかない程度。抜きん出た何かを持っていたわけではないので、試合ではベンチに居ることが多かった。

 とある練習試合で2軍戦を行うことになり、その試合でフル出場する機会があった。このときはまだ4クォーター制が導入されておらず、20分ハーフが2回で、インターバルや審判の笛などによる時間止めを考えると全体で1時間程度の試合。今思うと20分ハーフのバスケってめちゃくちゃハードで、シャトルランを20分続けるようなもの。当時の自分の体力すげぇなと感心したりもする。今では3分でも最後まで走れるかわからない。

 この試合で特に鮮明に覚えているのが、試合終盤のスリーポイントシュート。自分は片手でのシュートでは飛距離が出せなかったため、スリーポイントシュートを打つときは両手でうっていた。(今でも言うのかわからないが)いわゆる女子シュートというもの。ポジション柄、両手でパスをする機会も多く、精度を求めるのであれば片手よりこっちのほういいなと感じていた。飛距離も出るし。このときのシュートは明らかに他のシュートとの差を実感したことがあり、それが強く記憶に残る要因だったと思う。まず体力がほぼなくなっており、極限状態で走っていた。普段ここまで長い時間フル出場することがなかったため、ペース配分などがちゃんとできていなかった。体をぶつけられたら倒れるんじゃないかなと考えながらボールを受け取り、何となくゴールの方を見ると「これ届くなぁ」といった思いつきがあり、自分をマークしているディフェンダーがあまり詰めてこなかったので迷わずシュートした。

 このときのボールの軌道がいつもよりも高い機動になり、滞空時間が長いシュートになった。ゴールに届くまでの時間、急に回りが静まり返りみんながボールに集中しているのがわかる。時が止まったかのような静けさから、ボールがリングに当たらずゴールに吸い込まれ、ネットがボールに絡む音が広がる。2軍戦なので歓声が上がったりすることはなかったが、その後に徐々にいろんな音が広がる感覚はとても気持ちがいいものだった。うったあとに気づいたが、スリーポイントのラインからさらに後ろに下がったポジションから自分はシュートしていた。いつもはシュートを狙わないような位置にも関わらず届くと感じたあの時間帯、ゾーンに入った状態だったのだろうと今は思う。

 その後も何本かスリーポイントシュートを決めることができ、自分が出したパスが起点となり点が取れ、その試合は勝利することができた。このときの活躍は当時のコーチにも評価され「それがいつでもできればレギュラーだな」と言われたが、当時の自分はゾーンというものを知らず、なんか調子がよかったなという印象で完結していた。練習で時々似たようなことは起こるものの、試合で使ってもらえるほど安定したものではなかった。ゾーンという状態について少しでも知識があれば、何かやりようはあったのかもしれないと思うと悔しい気持ちも湧いてくる。

 ゾーンのやっかいなところは、調子がいい状態を経験してしまうと、それ以外の場面で「あのときはできたのになんでだ?」という自身への苛立ちが湧いてしまうこと。この苛立ちは集中力を欠く要因となってしまうので、ゾーンからはさらに遠ざかってしまうという悪循環に陥る。掴みどころのない状態なので、いろんな選手がいろんな方法でゾーンに入りやすい状態を作ってはいるが、サッカーやバスケットといった競技でゾーンに入ることをコントロールするのは難しいだろう。

 ゾーンに入って得た満足感は自分の場合、強く好印象を残す。あのときの「なんでもできる」という感覚が忘れられず、もう一度体感したいと願ってしまう。スポーツで飯を食っていくわけではないが、楽しさに加えてこういった満足感を求めてスポーツができる機会をよく探している。自分のスポーツ好きの根幹はここにあるのかもしれないとこれを書いていて感じ始めている。

 年齢を重ねるにつれ、限界まで練習や試合をするといったことはなくなってきたためか、スポーツでゾーンにはいるといった経験はここ最近ではほとんどない。集中して何かに取り組むといったことはできるのだが、スポーツをしているときに感じた「なんでもできる」といった感覚とはまた別物のように思う。いま定期的にやっているスポーツはテニスだけ。テニスでゾーンに入ったら相手の動きがよく見えて、相手の返球方向にいち早く反応できるというのが高校のときにあったが、社会人になってまだ同じ体験はできていない。自分にとってゾーンにはいるために必要な要素が何なのかはっきりしないが、ゾーンにはいる感覚を求めて自分はこれからも変わらずスポーツを続けるだろう。